こころの金継ぎ師 アドラーカウンセラーのMorleyです。
先日、クライアント先の福祉法人で【ELM勇気づけセミナー】最終講と修了式でした。最後の第12章は「自分を勇気づける」です。ワークの中に「自分への感謝状」があります。そのシェアの時、多くの方が声を詰まらせていた姿が心に残っています。
私たちは、成長して大人になってたくさんのことにがんばったり、誰かのために貢献しているはずなのに、その自分に感謝の気持ちを持つことが下手です。そして、周囲からの感謝を受け止めることも下手くそな気がします。
人生をより良く生きるためには、「感謝」が大事だとよく言われます。わかってる・・頭の中では。ましてや、自分自身に感謝するってむずかしい。
ここまで生きてこれたこと、健康に過ごせてること・・・当たり前じゃないことはわかっているけれど、心の中で「まだまだこんなもんじゃない」とか「自分を甘やかすことはダメになる」とかすぐ頭に過ぎってきませんか。
感謝って、するものなんだろうか? 小さな頃から「感謝しなさい!!」とか「感謝の気持ちを忘れてはいけない」「感謝が足りない」とか言われ続けて育ってきました。だから「感謝しなきゃ〜」って思えば思うほどしんどくなる。
感謝ってジワ〜って湧き上がるような感覚。赤ちゃんを見てなんとも言えないような温もりや、相手の気遣いや心遣いに思わずホロリきたり、会いたかった人にやっと会えた時にジワ〜ンとくるような感覚かな。そんな時「ありがとう!」「ありがたいな〜」と感じていませんか。
日本語実用表現辞書
どうやら「感謝」とは、〈するもの〉ではなく、心の内側から湧き上がる感動や感激であり、〈その状態〉のことを言うようです。とりあえず言うのでもなく、言わされるものでもないから、「何か伝わってこない。社交辞令かあ〜」って思う時があるのも無理はないと言うことですね。
感謝して生きることができている人は、きっと日々の小さなことにも「ありがたい」って思える。すべてのモノ・コトに対して「素直な心で向かい合える人」のように思います。特別な才能が必要なわけでもなく、日々を丁寧に生きていて、自分のことも他者のこともあたたかく受け止め、共に喜び、共に感動を分かち合える素直な人、特別な人ではなく普通の人のようです。
ここ数日で、私が感じたありがたいなと思えたこと。
*今日も元気に仕事ができている。ありがたい!
*講演会に呼んでいただき、たくさんの皆さんから「ありがとう」って言ってもらえて、社会に貢献できているんだなと思えた。ありがたい!
*マンションの管理人の方から「最近見なかったけど元気ですか?」と声をかけてもらった。ありがたいな!
*見知らぬ人が、「お花落ちましたよ」と拾って教えてくれたこと。ありがとうございます!
*ニャンズたちがどうしたのって表情で見つめてくれている。言葉を喋らないニャンズたちの温もりにいつも癒されてるな!ありがとう!
そう感じている自分を、まずはいい悪いでジャッジするのをやめよう!そう思える自分の気持ちを大事にしよう!「ダメ出し」より「よい出し」。
雑多な日々の中で見失いがちな小さな変化、小さな成長、小さな感動、小さな気づき・・・「そんなこと考える余裕なんてない!」「人のことなんて構ってられない」と言われそうですが。
そんな余裕がないほど、人のことなど構ってられないほど、「日々がんばってる自分にありがとう!」から。「意識」をすることで心のゆとりは創り出せます。
「言葉」が意識を作ります。「無理ムリ」「しんどい」「私なんてどうせ」を呪文のように繰り返していくのか、「ありがたい」「ありがとう」「お陰様で」で暮らすのかは、自分が選択することができます。そして何より脳はあなたが思っているように働いてくれるのですから。
「ありがとう」「嬉しい」「助かる」を言い続ける。まずは自分を勇気づけることから。
自分を満たして、溢れたエネルギーで大切な人たちを勇気づけたいですね。
一番できていないと思う私から・・・まずは日々是アドラー。
今日もブログに来ていただきありがとうございます。
Norleyでした。
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