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執筆者の写真Sumika Moriya

いい人のふりしてる!?【人間関係】

心の金継ぎ師 アドラーカウンセラーのMorleyです。




友人と久々に食事に行っていた時、感じたこと。彼女は、とても優秀で、長い間苦労して、組織のトップに辿り着いた尊敬する人でもある。





ふと感じた心の距離・・・いつの間にか仕事口調。立場でのあるべき論が出てきた時、「それちゃうんじゃないの!?」って、私がつい本音で返してしまったら、憤慨されてしまった。 気まずい雰囲気・・・そこからの会話のギクシャク感💦 居心地の悪さ・・・そして少し寂しい気持ちになってしまった。多分自分の負けたくないというライフスタイルも出てたとと思う。そのうち互いにビジネスモードのままで盛り上がりに欠ける食事会に💦 

「なんか・・・疲れたわ💦」もしかしから彼女もそうだたかもしれない。









またまた朝ドラの『虎に翼』で何度も出てきた「スンッ」を思い出す。

家族間でのギクシャク感を感じて「家族会議を開きます」と家族会議を開いた時、「スンッ禁止」って言ってましたね。










「すん-と[副詞]」

①物事に対して、関心や温かみのない冷たい態度をとる様を表す語。そっけないさま。つんと。

②物事に対して、内心では関心がありながら表面的に関心のないふりをする様を表す語

③物のしなやかで、ハリのある様、身のこなしがスッとしていて、玄人らしいさまを表す。

小学館編『精選版 日本国語大辞典』








つまりは、タテマエ・忖度・その場の空気で、内面を殺し平静を装うさま」でしょうか。

でもこれって、日常的に見かけるし、気付かぬうちにやってしまったりしませんか。

逆にこれできないと、「社会性がない」とか、「空気が読めない」って言われたりもします。

だから難しい💦





「スンッ」てやる目的は、この場の空気を壊したくない、ことを荒立てず現状維持がしたい気持ちですよね。そう考えると、「スンッ」する人たちの『我慢』で成り立っているってことになります。それって大丈夫だろうか!!





ましてや、犠牲の上に成り立つお役立ちは『貢献』とは言い難く、どこかでずっと我慢している。

自分が意識してやっているうちはいいけれど、知らず知らずのうちそれを強いられていたとすれば・・・疲弊する。やがて報われない時間が重なっていくと、心は消耗し、プチンと糸が切れてしまうんじゃないだろか。





『共感が大事!』と言われるけれど、わかったふりして合わせているのは共感ではない。

さらに、話している方も勝手に共感してもらえているという勘違いを起こしているかも。





この我慢と勘違いで成り立っている場合は要注意。

いい母親のふりをすれば、いい子のふりをする。

いい上司のふりをすれば、いい部下のふりをする。





親の期待に子どもは応えようとする。

上司の期待に部下は応えようとする。

誰かの期待に応えたい自分がいる。





だから、正直な自分でいたいと思う。自分の感情に気づける自分でいたい。

その上で、自分の関心以上に相手の関心に心を傾けてみる

相手の体験している世界を追体験してみる・・・そこから全ては始まる気がする





いつでもどこでもそれをやらなければではなく、まずは大切な人と向き合うとき、向き合えてないと感じる時、「いい人になっている自分」もしくは、「いい人にしてさせてしまってるかもしれない目の前の人」でやり取りしていないか注意してみよう。





そうそう、頭文に出てきた友人とは・・・その後話した時、感じてたことをそのまま伝えたら、「私もなんよ〜」で、シャンシャン。『スイッチ入れます合図』を伝え合うことにしました。だって仕事の話もお互いに好きだから。





まずは、『スンッの関係』を見直してみよう。

日々是アドラーです。

今日もブログに来ていただきありがとうございます。

Morleyでした。




〜参考〜

その人の視点に立つ(文・三國牧子)

 「共感できる!」という言葉は日常生活の中で人々の会話から、あるいはテレビなどのメディアを通して多く耳にする機会がある。この「共感できる!」という言葉を私はカウンセリングの中で使ったことはない。カウンセリングにおける「共感的理解」は、カウンセラーがクライエントを「共感できる!」ことを目的とはしていない。イギリス人の友人が共感的理解を説明する時に「put oneself in someone’s shoes」という言葉で説明したことがある。私はこの表現が好きである。他者の靴を履いてその人の視点に立ってその人の景色を見る。高いヒールを履いて見える景色、履き慣れたボロボロの運動靴から見える景色、高さが違うから見える景色も違う。そして歩き方も異なる。目の前にいる人がどのような靴を履いて歩いているのかな、どのような景色が見えるのかなって、クライエントの話を聞きながら一生懸命それを理解しようと務めるのである。私達は決してその靴を実際に履いて、歩いている目の前の人のことを完全に理解することはできない。共感的理解は努力目標で、「あっ、共感します!」と言えるものではないのである。


三國牧子(みくに・まきこ)

アメリカ、ニューヨーク生まれ。1987年立教女学院短期大学幼児教育科卒業。1997年玉川大学文学部卒業。小金井教会幼稚園教諭、Aoba Japan International School 国語科教諭を経て、2012年 University of East Anglia 博士課程修了(PhD取得)。2011年~九州産業大学国際文化学部臨床学科准教授。著書に『子育て支援カウンセリング』(共著、図書文化社、2008年)、『グループ臨床家を育てる』(共著、創元社、2011年)、『人間性心理学ハンドブック』(分担執筆、創元社、2012年)など。





















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