そのルーティンワーク…あなたを支えてる?それとも縛ってる?
- Sumika Moriya
- 1 日前
- 読了時間: 4分
こころの金継ぎ師、Morleyです。
気がつけばもう6月。今年も、もう半分が過ぎようとしているなんて、早いものですね。
5月の最終日、ELMプラスのワークショップを終えたその足で、向後千春先生の【白秋ゼミ】に初めて参加しました。
白秋ゼミとは、「大人の生活と遊び」を考える学びの場。
人生を「青春/朱夏/白秋/玄冬」の4つに分けたとき、白秋期とは50代から70代頃のこと。それを“人生の収穫期”と捉え、大人の成長や変容について探究していくそうです。
今回はZoomでの参加だったので、後半の「大人の遊び」タイム(現地組が楽しむワーク)には参加できず…。こればかりは地方組の少し残念なところですね。
今回のテーマは「ルーチン」。
“ルーチンワーク”と聞くと、決まった手順や流れで繰り返す作業、という印象があります。仕事にはある程度、自分なりの段取りがあるけれど…日常生活の中で、私が無意識に繰り返していることって、何があるんだろう?
そんな問いかけから、参加者それぞれの「ルーチン」がシェアされました。健康に気を配っている人、仕事に全力投球している人、規則正しい暮らしを守っている人…どれも個性豊かで興味深いものでした。
中でも印象に残ったのは、こんな声です。
「選択するストレスから逃れるために、ルーティン化しています」「ルーティンマニアなので、どんどんルーティンを作るけれど、結局全部はできなくなってしまう」
なるほどなぁと思いながら、私自身の毎日を振り返ってみました。
朝起きたらまずトイレ。そのあとベランダの植物に水やりをして、ニャンズたちのトリミング。それから朝ごはんの支度、掃除、そして仕事…。
こうやって書き出してみると、「やらなきゃいけないこと」はたくさんあるけれど、よくよく見れば「本当はやらなくてもいいこと」をルーチンのように繰り返していて、逆に**「やったほうがいいこと」(たとえばストレッチやジャーナルを書くなど)**は後回しにしているな…ということに気づきました。
ライフスタイルがそのまま見えてしまって、ちょっと苦笑い。
あとで向後先生のnoteを読んでみたら、こんな一節がありました。
「ルーチンの意味を考えてみると、一日の枠組みを作ることのような気がする。一日の始まりの朝のルーチン、終わりの夜のルーチン、さらには中間のお昼のルーチンを作っておくと、一日の型ができる。これを一定にすることによって、それ以外の時間を自由なものにすることができるのではないだろうか。仕事のプレッシャーを強く受ける人にとっては、自分のルーチンを守ることによってその防御になるような気がする。」
これを読んで、「ルーチンを1日まるごと管理するもの」ではなく、「一日の“枠組み”を作ること」と捉えてみると、少し肩の力が抜けました。
私はフリーで仕事をしているので、ある意味「何をどう過ごすか」はすべて自分次第。苦手だと思い込んでいた“ルーチン”も、自分のために「朝・昼・夜」というリズムを作っておくことで、自由な時間がより活きてくるのかもしれません。
たとえば夜更かしして「あ、これやらなきゃ!」と慌てるあの“シンデレラタイム”も、もう少しうまく乗りこなせそうです。
アドラー心理学の視点から言えば—
—自分の理想と今の自分とのギャップに「劣等感」を抱き、有益な補償をせず、「やらない理由」を並べて行動を先送りにするのは、まさに劣等コンプレックスのあらわれ。時には優越コンプレックスとして、「どうせ自分はやればできるから」と行動を避ける場合もあります。
でも、もし本当にやりたいことなら。やったほうがいいと分かっていることなら。自分にとって意味や価値があると感じるなら——
「やる!」と、勇気を出してもう一度決め直してみよう。そう、自分に言い聞かせました。
後半の現地ワークでは、「お気に入りの写真をもとに、クレパスで抽象画を描く」時間があったそうです。その後は、ナンを焼いて楽しんだとか…!
私はひとり、自宅でこっそり「クレパス・ワーク」に挑戦してみました。

描きながら、ふと思いました。
——私がほんとうに大切にしたい“毎日の枠組み”って、なんだろう?
それが、これからのルーチンを考えるヒントになるのかもしれません。
日々是アドラーです。
Morleyでした。
Comments