それでも、心は離さない。

手を離しても。目を離しても。
それでも、心は離さない。
昨日、アドラーカフェで仲間と話していて、
心に残る話を聴きました。
シングルファザーとして、息子さんを育ててきたお父さんの話です。
小さな頃は、
毎日、自分のお腹の上で息子さんを寝かせていたそうです。
お父さんの心臓の音を聞きながら、育った子。
小さい頃からバイクで送り迎えをしていて、
後ろからお父さんの背中に、べったり張り付いていた。
そんな息子さんも、今は大学生。
今ではバイクに乗ると、
息子さんのほうからヘルメットをかぶった頭を
お父さんの肩にのせてくるそうです。
「だから、俺のほうは頭斜めになってるんだけどね」
そう話すお父さんが、
とても嬉しそうで。
なんだか、こちらまでほっこりしました。
そのお父さんが、子育ての中で大事にしてきたのが、
手を離すな。
目を離すな。
心を離すな。
ということ。
早速調べてみると、「子育て四訓」下関の教育者
緒方 甫先生が提唱した言葉が出てきました。
乳児は、肌を離すな。
幼児は、肌を離せ、手を離すな。
少年は、手を離せ、目を離すな。
青年は、目を離せ、心を離すな。
子どもの成長に合わせて、
少しずつ距離を変えていく。
ずっと手を握っていることが、
いつも「支える」ことではない。
手を離すことが必要なときもある。
目を離すことが必要なときもある。
でも――
心は離さない。
この話を聴きながら、
私は「ケア」という言葉を考えていました。
ケアするというと、
つい「そばにいること」や
「手をかけること」を思い浮かべます。
けれど、
相手ができることを、少しずつ返していくこと。
必要以上に手を出さないこと。
相手の力を信じて、
距離を変えていくこと。
それもまた、
大切なケアなのかもしれません。
そして、これは介護だけの話ではない。
親子でも。
夫婦でも。
友人でも。
職場でも。
「心配している」が、
いつの間にか「コントロール」に変わる。
「助けたい」が、
「私がやらなきゃ」に変わる。
「大切にしたい」が、
「してあげる」に変わる。
そんなことは、
人と人との間なら、どこにでも起こりうる。
アドラーのメガネで考えると
そんなとき、
「相手をどうにかする」前に、
まず自分に気づくことが大切なのではないかと思っています。
私は今、何を心配しているんだろう。
私は今、相手のためと思いながら、
何をしようとしているんだろう。
私は相手の力を信じているだろうか。
そんなふうに、
自分自身に目を向けてみる。
もしかしたらケアは、
「相手に何をしてあげるか」だけではなく、
「私は今、この人とどう向き合っているんだろう」と、
自分に気づくことから始まるのかもしれません。
ケアする人と、される人。
その間にあるもの。
そこには、
「してあげる人」と「してもらう人」ではなく、
相手の力を信じながら、
必要なときには手を差し伸べられる、
そんな関係もあるのかもしれない。
昨日聴いたひとりのお父さんの話が、
またひとつ、私に考えるきっかけをくれました。
手を離しても。
目を離しても。
それでも、心は離さない。
そんなケアについて、
もう少し考えてみたいと思います。



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