ケアする人と、される人。その間にあるもの。

ケアする人と、される人。
その間にあるもの。
「心配しているんです。」
「この人のために、と思って。」
「私がやらなきゃと思ってしまって……。」
これまで、福祉の現場で働く人たちと
長く関わってきました。
そんな言葉を、何度も聞いてきました。
人を支えたい。
大切にしたい。
困っているなら、助けたい。
その気持ちは、きっと本物です。
でも、いつの間にか、
「心配している」が「コントロール」に変わったり、
「助けたい」が「私がやらなきゃ」に変わったり、
「大切にしたい」が「してあげる」に変わったりする。
そんなことは、福祉の場だけではないのかもしれません。
親子でも。 夫婦でも。 友人でも。 職場でも 。
人と人が向き合うところなら、どこにでも起こりうること。
そして、難しいのは、
「自分でも、なんとなくわかっているんです。」
ということ。
表情に出ているかもしれない。 声に出ているかもしれない。 身体の動きに出ているかもしれない。
でも、
「じゃあ、どうしたらいいんだろう?」
そこが、わからない。
私は、アドラー心理学を学んできた中で、
「相手を変える」ことよりも、
まず**「自分に気づく」**ことの大切さを感じてきました。
「どうして私は、こんなに頑張っているんだろう」
「私は、相手のためと思いながら、何をしているんだろう」
「私は今、相手を見ているのか。
それとも、自分の不安を何とかしようとしているのか。」
そんなふうに、自分自身に目を向けてみる。
もしかしたら、ケアは、
「相手に何をしてあげるか」だけではなく、
「私は今、相手とどう向き合っているんだろう」と、
自分に気づくことから始まるのかもしれません。
ケアする人と、ケアされる人。
その間に、いったい何があるんだろう。
そこにあるのは、
「してあげる人」と「してもらう人」なのだろうか。
それとも――
人と人が、ただ横に並んでいる時間もつくれるのだろうか。
まだ、答えはありません。
だから、もう少し考えてみたい。
「ケアする」ということを。
「大切にする」ということを。
そして、
人と人との間にある「ケア」を。



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