共に生きるために──“わかり合う”という課題
- Sumika Moriya
- 19 時間前
- 読了時間: 2分

心の金継ぎ師、Morleyです。
久しぶりの投稿になりました。一度手を止めると、なぜか書くことが怖くなってしまうものですね。
発信したい思いはたくさんあるのに、「書かなきゃ……」と思えば思うほど、余計に筆が止まる。そんな自分もまるごと受け止めながら、これからは気負わず、コツコツと書き続けていこうと思います。
先日、早稲田大学を早期退任された向後千春先生のアドラーゼミAに初参加しました。
このゼミでは、アドラーの『人間の本性』を一緒に読み解いていきます。
ゼミの面白さについてはまた別の機会に書くとして──冒頭の《はじめに》を読んだ段階で、すでに私は深く唸らされていました。
人間の本性を知るということ
(P13)わたしたちはみんな、あまり人間のことをよくわかっていないのです。
ここで言う「人間」とは、私たち一人ひとりの【こころ】のこと。わたしたちは、自分自身のこころも、他者のこころも、十分に理解できていない。
それなのに、毎日誰かと関わり合いながら生きている──。そんなあたりまえのことに、改めて気づかされた瞬間でした。
思い返してみれば、私たちは家族という守られた小さな共同体の中で育ち、やがて幼稚園や小学校に入り、家族以外の世界に放り込まれます。
「先生の言うことをちゃんと聞きなさい」
「お友だちと仲良くしなさい」
そんなふうに言われはしましたが、人のこころの動きや、受け止め方の違い、大切にしているものの違い──そうした“わかり合うための基本”を、きちんと教わる機会はほとんどなかったように思います。
わからないまま、手探りで。自分を守るために。生きていくために。私たちは、無意識に必死で「生きる術」を身につけてきたのでしょう。
そして、それは家族との関係のなかですでに始まっていた。
何を今さら、と思うかもしれません。でも改めて、心から実感したのです。
共に生きていくためには、互いを理解しようとする努力が欠かせない。
それは、人生において避けて通れない、大きな課題なのだと。
完全にわかり合うことはできないかもしれない。けれど、「わかろう」とするその意志こそが、わたしたちを孤独から救い、共同体の中へと導いてくれるのだと思います。
また今日から少しずつ、「こころ」をめぐる気づきや学びを、言葉にしていきたいと思います。まずは、自分自身のこころに、そして、すぐそばにいる誰かのこころに、そっと耳をすませるところから──。
日々是アドラー・・・
誰もが抱える“欠け”を大切に、
アドラー心理学とともに、共感と勇気の輪を広げています。
Morleyでした。
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