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執筆者の写真Sumika Moriya

苦手な人いたらダメ?〈人間関係〉



こころの金継ぎ師 アドラーカウンセラーのMorleyこと盛矢澄香です。




苦手な人っていませんか?6回シリーズの研修スタート時、

少しだけ気になる方がいました。

案の定、初回、噛みつかれちゃいました💦

ただ6回もあれば別のいい面が見えてきたり、

どこかで必ず分かり合えたり、修復できると信じている私です。

もちろんその瞬間は、相手の態度などにイラッとする自分もいますが。





先日、無事修了式も終えて懇親会でのこと。

私は彼のもとにいき話しかけました。


私:「初回、バトッちゃったけど、今も私は嫌なヤツ?   

   私はあのやり取りがあったからこそ、近づけたと思っるけど。」


彼:「今は全然大丈夫ですわ〜。(ホッ〜)   

   初対面で見た瞬間に、わ〜苦手やなア〜って感じる人いません?」


私:「いるいる・・・わかる気がします。   

   もしかしてあの時、誰かと重なったりしてたとか?」


彼:「・・・おんなじようなタイプの女性が昔いたような。」


私:「わ〜結構、いい女だったでしょ!!」


彼はもちろん、吹き出してましたけどね。








会った瞬間に感じるこの感覚ってなんでしょね。

目の前にいる人と、何一つ深く話してもいないのに、

その人が醸し出す雰囲気や空気感から湧き起こる苦手感。




かつての私もそうだった。

苦手だと思うと近づきもしないし、

ちょっとでも攻撃されそうだったら先制攻撃。

「やられる前にやっちまいな!」

傷つくことが怖かったから。




脳科学から見ると、脳の扁桃体と呼ばれる

「危険を察知して赤信号を出す」部分が、瞬時に、

マルかバツか?安全か危険か?ということを、

瞬時に判断して、危険だと赤信号を送るんだそうです。




つまり、見た瞬間に、その人を、その出来事を

どう認知(理解、判断、論理)し、どう解釈するか。




私たちの生まれてからの体験や経験を通して

目の前のコトを、人を判断してしまうって訳ですね。

その瞬間、その嫌〜な感情も一緒に蘇り「危険」とか

「安全」とか判断した基準で今目の前にいる人も

きっと同じタイプだと判断してしまう。




例えば、犬が好きな人もいれば嫌いな人もいる。

生まれながらに「犬が大嫌い!」なんていう人はいないはず。

小さな頃、噛みつかれた経験があるとか、追っかけられたとか。

近づいたらペロペロしてくれて可愛かったとか。




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「人間は意味を離れて生きることはできない。

我々は現実を常に、

我々がそれに与える意味を通じて経験するのである」

(A・アドラー))

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アドラー心理学では、私たちは出来事を客観的に見て

判断しているのではなく、主観的に意味づけて経験に

結びつけていると考えます。

大人になっても犬が苦手な人は、その書き換えを

体験する機会がなかったというでしょうか。





先ほどの彼は、小さな頃もしかしたら母親だったり、

年長の女性から何かを強く言われたりした

体験があるのかもしれません。

でもこれも、私の主観の中で考えてみたこと。





本当は、もう一つ不機嫌を引き出す要因もあったんです。

そもそもここに何のためにきたのか? 

つまり、「ただ参加してきて」の指示だけで、

何の為に、どうなってほしいから参加してほしいという

動機づけもされていなかった。

そりゃ不信感も不機嫌も最高潮ですわな。





今でもお会いした瞬間に「苦手だな〜」と思う人います。

その人が醸し出す雰囲気や態度、言葉がに反応して、

昔の苦い経験を思い出してしまう。

重ね合わせた人や経験と同じなんて一つもないはずなのにね。





そう思った自分がいい悪いではなく、

どこに反応する自分がいるかを知っているから。

気づいたら、そこでスイッチの入れ替えをします。

トライ&エラーで練習し続けてます〜





この人のどんな体験・経験が、今を作ってきたんだろう、

どんなことに関心があり、どんな価値基準を持ってるんだろう。

答えは本人の中にしかない。だから対話して聞いてみたい。





苦手な人がいてもいい。人間だもの。いろんな人がいる。

育ってきた環境も考え方も違えば、違和感だってある。

もちろん、付き合わないという選択もある。

でも一面だけでわかったつもりになるのって勿体無い。





そして、特に仕事の場面やコミュニティーの場では

付き合いません!とはいきません。

仕事の目的や、コミュニティーの場の目的は同じです。

その中で、互いが気持ちよく過ごせる、

協働できる為に自分ができることを考えてみることが

できたらいいですね。





好き嫌いを思うのは自分。ただ関わりの中で生きているから。

昔のように、何の努力もせずにバッサリ切り捨てるのでもなく、

こんな人もいる・・・それが社会だもんと。





取っている行動は間違っていたり嫌だったりしても

「誰でもがより良くなりたいと生きている」

ここだけは信じると決めたから。




ゆるり〜とつながっていけるといいなと思っています。

今日もブログに来ていただきありがとうございます。


Moeleyでした。


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